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オリンピック・わたしの忘れえぬ感動シーン「ガブリエラ・アンデルセン」
「北京オリンピック、ボイコットよ。」などと偉そうに言っている
わたしですが、なに、もともとスポーツ観戦にはあまり興味を持たない
人間で、さほど苦にもならない(笑)
見ると言えばせいぜい(おっと、この言葉、福田首相がお使いになり
ヤンヤ言われていますね。気をつけないとw)国がらみのWカップサッ
カー、ユーロカップくらいでにわかファンそのものです。
今回の女子マラソンはルーマニアのトメスク選手(38)が優勝とのこと、
素晴らしいですね。
マラソンは一度たりとも長距離を走ってみたことがある人は、それが
いかに過酷な競技であるかを知っていると思います。
高校時代の恒例行事で女生徒は否応無しに全員5000mを走らされ
ましたが、単に走ることがこんなに苦しいことかと、このときの体験
は生涯忘れるものではありません。
後で振り返ってみると、これは人生に似ているような気がしない
でもない大きな体験でした。
上述したように、スポーツ祭典はあまり熱心に見るほうではなく、
1984年にロス・アンジェルスで開催されたオリンピックも、ほと
んど見ていませんでした。
この年、わたしは4歳になる息子を伴って、大阪は堺にあるビアハウス
の歌姫時代の大先輩、K嬢のお宅に帰国して数ヶ月居候していました。
K嬢もかつてのわたしと同じように、日中はオフィス勤め、夜は
ビアハウスで歌姫に変身。
居候中の日中、わたしは彼女の家の留守番役をしていました。
ある日のこと、オフイスで仕事中の彼女から電話、
「yukoさん、テレビ観てる?マラソンでポルトガル人選手がトップを
走ってるわよ!」
その日もオリンピックなどどこ吹く風、鼻歌など歌いながら、宝木家の
掃除やら洗濯やらをしていたのんきなわたし、慌ててつけたテレビの
画面から、おおお!競技場に今や入らんとするカルロス・
ロペスの姿が
目に飛び込んで来ました!
やるじゃない、ポルトガル!37歳のカルロス・ロペス、この年は
金メダルを獲得したのでした。
わたしは、帰国中に再びバイトとしてアサヒビアハウスで週に2度ほど
歌っていたのですが、数日後、常連仲間で、○サヒ放送のK氏の話で
耳にしたのは、ポルトガルのカルロス・ロペスなど優勝候補に全く
上がっていなかったので、どこも彼の写真を用意していなかった。
だからメディアで使用された写真はロペスのゴールを切るものばかり
だった、との裏話。
この後、ポルトガルはソウルオリンピックの女子マラソンで優勝し、
世界記録も保持するロザ・モタ(ポルト出身)というヒロインを生む
わけですが、これらにも増して、わたしが今でも思い起こすたびに
胸が熱くなってしまう忘れられない光景が、ロスアンジェルスオリン
ピックにあるのです。
それまで女子マラソンはリスクがあるということで、オリンピック競技
には入れられていなかったそうですが、この年、初めて女子マラソンが
登場しました。なんの拍子でか、わたしはたまたま女子マラソンの後半を
見ていたのですが、このとき、競技のほとんど終わりのころ、会場に
熱中症でふらふらになりながら入ってきた選手がいました。
観衆もテレビを見ていたわたしも一瞬騒然としました。
彼女は、先の一歩を踏み出すのもようやくのことで、今にも倒れそう
です。トラックサイドの係員が彼女を支えたが最後、競技からは失格
です。それを拒みながら、重病人のようなアンデルセンは
一歩一歩と
よろめいて進んでいきます。
会場の観衆は一丸となり彼女を声援します。
もちろんテレビを見ていたわたしも、がんばれ!がんばれ!と応援、
涙もろいわたし、いつの間にか頬を涙がつたっていました。

画像はGOOGLEから。
スタジアムに入場してからの一周を意識朦朧とした状態でヨロヨロ進み
ながら6分ほど。ついにゴールした時は会場は総立ちで嵐のような
拍手が鳴り止みませんでした。
熱中症は非常に危険であり、ゴールと同時にアンデルセン選手は係員に
抱きかかえられ、恐らく病院直行だったことでしょう。
このとき39歳だったアンデルセン選手(スイス)は後日語っています。
「普通のマラソンならば棄権していました。歴史的大会だったので、
どうしてもゴールしたかったのです」と。
長距離マラソンは孤独との闘いと言えるのではないでしょうか。
このときの彼女の姿は、ヨロヨロになりながらも誰をも寄せ付けない
自分との厳しい闘いに極限状態で挑み、Never give upの精神を観衆に
知らしめたのです。
人間てすごいなぁ、と25年も経ったあのときの感動を思い起こさせる
オリンピックの一幕です。
この時は誰が優勝したか?それがです、このアンデルセン女子を覚えて
いてもゴールドメダリストを覚えていない(笑)
アンデルセンさん、Wikipedia情報によると、現在はアメリカでスキー
のインストラクターをしてらっしゃるそうです。
youtubeでこの時の画像を見つけました。
あまり鮮明ではありませんが、どぞ。
「1984年・ガブリエラ・アンデルセン」 →つづきをみる
わたしですが、なに、もともとスポーツ観戦にはあまり興味を持たない
人間で、さほど苦にもならない(笑)
見ると言えばせいぜい(おっと、この言葉、福田首相がお使いになり
ヤンヤ言われていますね。気をつけないとw)国がらみのWカップサッ
カー、ユーロカップくらいでにわかファンそのものです。
今回の女子マラソンはルーマニアのトメスク選手(38)が優勝とのこと、
素晴らしいですね。
マラソンは一度たりとも長距離を走ってみたことがある人は、それが
いかに過酷な競技であるかを知っていると思います。
高校時代の恒例行事で女生徒は否応無しに全員5000mを走らされ
ましたが、単に走ることがこんなに苦しいことかと、このときの体験
は生涯忘れるものではありません。
後で振り返ってみると、これは人生に似ているような気がしない
でもない大きな体験でした。
上述したように、スポーツ祭典はあまり熱心に見るほうではなく、
1984年にロス・アンジェルスで開催されたオリンピックも、ほと
んど見ていませんでした。
この年、わたしは4歳になる息子を伴って、大阪は堺にあるビアハウス
の歌姫時代の大先輩、K嬢のお宅に帰国して数ヶ月居候していました。
K嬢もかつてのわたしと同じように、日中はオフィス勤め、夜は
ビアハウスで歌姫に変身。
居候中の日中、わたしは彼女の家の留守番役をしていました。
ある日のこと、オフイスで仕事中の彼女から電話、
「yukoさん、テレビ観てる?マラソンでポルトガル人選手がトップを
走ってるわよ!」
その日もオリンピックなどどこ吹く風、鼻歌など歌いながら、宝木家の
掃除やら洗濯やらをしていたのんきなわたし、慌ててつけたテレビの
画面から、おおお!競技場に今や入らんとするカルロス・
ロペスの姿が
目に飛び込んで来ました!
やるじゃない、ポルトガル!37歳のカルロス・ロペス、この年は
金メダルを獲得したのでした。
わたしは、帰国中に再びバイトとしてアサヒビアハウスで週に2度ほど
歌っていたのですが、数日後、常連仲間で、○サヒ放送のK氏の話で
耳にしたのは、ポルトガルのカルロス・ロペスなど優勝候補に全く
上がっていなかったので、どこも彼の写真を用意していなかった。
だからメディアで使用された写真はロペスのゴールを切るものばかり
だった、との裏話。
この後、ポルトガルはソウルオリンピックの女子マラソンで優勝し、
世界記録も保持するロザ・モタ(ポルト出身)というヒロインを生む
わけですが、これらにも増して、わたしが今でも思い起こすたびに
胸が熱くなってしまう忘れられない光景が、ロスアンジェルスオリン
ピックにあるのです。
それまで女子マラソンはリスクがあるということで、オリンピック競技
には入れられていなかったそうですが、この年、初めて女子マラソンが
登場しました。なんの拍子でか、わたしはたまたま女子マラソンの後半を
見ていたのですが、このとき、競技のほとんど終わりのころ、会場に
熱中症でふらふらになりながら入ってきた選手がいました。
観衆もテレビを見ていたわたしも一瞬騒然としました。
彼女は、先の一歩を踏み出すのもようやくのことで、今にも倒れそう
です。トラックサイドの係員が彼女を支えたが最後、競技からは失格
です。それを拒みながら、重病人のようなアンデルセンは
一歩一歩と
よろめいて進んでいきます。
会場の観衆は一丸となり彼女を声援します。
もちろんテレビを見ていたわたしも、がんばれ!がんばれ!と応援、
涙もろいわたし、いつの間にか頬を涙がつたっていました。

画像はGOOGLEから。
スタジアムに入場してからの一周を意識朦朧とした状態でヨロヨロ進み
ながら6分ほど。ついにゴールした時は会場は総立ちで嵐のような
拍手が鳴り止みませんでした。
熱中症は非常に危険であり、ゴールと同時にアンデルセン選手は係員に
抱きかかえられ、恐らく病院直行だったことでしょう。
このとき39歳だったアンデルセン選手(スイス)は後日語っています。
「普通のマラソンならば棄権していました。歴史的大会だったので、
どうしてもゴールしたかったのです」と。
長距離マラソンは孤独との闘いと言えるのではないでしょうか。
このときの彼女の姿は、ヨロヨロになりながらも誰をも寄せ付けない
自分との厳しい闘いに極限状態で挑み、Never give upの精神を観衆に
知らしめたのです。
人間てすごいなぁ、と25年も経ったあのときの感動を思い起こさせる
オリンピックの一幕です。
この時は誰が優勝したか?それがです、このアンデルセン女子を覚えて
いてもゴールドメダリストを覚えていない(笑)
アンデルセンさん、Wikipedia情報によると、現在はアメリカでスキー
のインストラクターをしてらっしゃるそうです。
youtubeでこの時の画像を見つけました。
あまり鮮明ではありませんが、どぞ。
「1984年・ガブリエラ・アンデルセン」 →つづきをみる
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